人それぞれ
4月23日(金)
2、3日前から私の仕事の宣伝をしてほしいと、いろんな方にラインをしている。その反応が人によっていろいろである。
自分のように喜んでくれる人、自分だけでなく他の人にも宣伝してくれようとする人、全く興味なさそうな人。文章だけなのに、伝わる雰囲気がある。絶対的に優しい人はすぐわかる!目に見えないものが伝わる。
以前から私に依存してくる人が数人いるんだけど、その人たちは、不思議と殆ど喜ばない。どうしてそうなったのかを聞いて、すぐに会話は終わる、とても低い波動を残して…。私がうまくいくのは計算違いみたいなのだ。何か一緒に泣いていたいんだろうな。ある意味そういった意識の数人とは、これで縁が、切れそうだ。
昔、私も力量不足ではあったが自分なりに一所懸命やった仕事のお客さんが、ラインの文章はあっさりしているものの、実際はとても力のあるパイプを通してくれたり、今回は勉強になる。昔、私も少しは役に立て
てたのかなあ。
ツインレイ
4月21日(水)
伝えたい嬉しい事があって、ショートメールしてしまった。ラインはブロックされてるからね。勿論、返事は期待してない。でも伝えたかった。
他の友人や家族はラインの返信があった。そりゃそうよね。普通はそうする。
急ぎの用ではなかったけど、とてもいいお天気だったので外に出た。銀行へ行って、コンビニでコピーをして、気が向いたらカフェでも行こうかな。
今、悩みは全くない。人生で一番気楽な時かもしれない。何も我慢してないし、心配なものもない。
結局、コーヒーも飲まず帰ってきた。
ツインレイって何なの?恋心も煩悩も全て取り去られていく。あんなに大好き!だったのに、今はちょっと違う。大好き!っていいな、ドキドキしてたし。
相変わらず連絡はこないけど、こなくてもどうでもいいか。こんなに悟っちゃって何だろう。つまんない私。
阪堺電車
4月19日(月)
阪堺電車、いや、チンチン電車に乗って、帝塚山3丁目で降りる。
懐古ばかりしておかしいんじゃないの?
そう思いながら、降りた帝塚山の、あのパン屋さんはシャッターが下りていて、あの場所は更地になっていた。
あの時、一年くらい起き上がれなかった。
子供が学校へ出掛けるとカーテンを閉め、電話線を抜き、ベッドに潜り込み、ただただ寝ていた。
子供が帰ってきそうな時間になると起き上がり、カーテンを開け、服に着替える。
「おかえり。」と何事もないような顔をして、夕飯を作った。
あの場所はもう消えてしまい、私の辛い過去も消えたかな。
道路に埋め込まれた線路沿いを歩き、姫松を目指す。昔からのコーヒー屋もおうどんのお店も和菓子屋も、懐かしい。いいな、大好きな町。
横断歩道の正面には、よく通ったケーキ屋さんもまだあって、いろんな事を思い出す。
もう少し線路沿いに歩けば、母親の実家があった場所。今はもうないけれど。
辛かった事も楽しかった事も、全部過去になっていた。
一人になったら、また戻って来ようかな、いいかもしれないな、と思う。
なんにもない町。ただ広い道が真ん中にあり、そこを路面電車が走る。チンチン電車しかない町。
モロゾフ
4月18日(日)
モロゾフ…子供の頃の懐かしいスイーツ。プリンとチーズケーキ。なんともいえない。
母がよくデパートで買ってきてくれたし、モロゾフの喫茶室にもよく行った。母と。
小さい時から両親に対しての葛藤が続き、亡くなってからも長いこと消化できなかった。
よその親が皆優しく賢く見え、私は何故この家に生まれてきたんだろう、とずっと悲しかった。
私からの勝手な言い分なんだろうけど、この家に生まれてきたから諦めた事が沢山あった。
とても好きな人がいたけれど、とても大切だったので諦めた。理由も言えず身を引いた。
何十年もたってから再会し、とても楽しい時間が少しの間だけ訪れて、今度は理由もわからず会えなくなった。相手が身を引いた。
やっぱり、悲しい人生しかない、と自分の運命を恨んで、後悔して、一年くらいずっと泣いていたのだけれど、
先日、何かの拍子に腑に落ちた。
あ、私と同じなのかも。大好きで大切だから去っていったんだ。私を単なる不倫女にさせないために。
またいつか、会えると思う。
もうモロゾフも食べれるようになった。再会したら誘ってみようか。彼はケーキが好物なのである。
引っ越したい人
4月16日(金)
近所の人が嫌なので引っ越したい、って何度も私に話す人がいるんだけど。
都会の一戸建て。確かにプライバシーは不安定。生活音聞こえるもんね。
でもその人は少し敏感に思う。
自分が帰宅した後にわざと出掛けるご近所さん、とか、自分が干した洗濯物を見てご近所さんが干してきた洗濯物の色が挑戦的である、とか、自分が横ストライプの服を着ていたらご近所さんは縦じまの服を着てくる、とか。
返事の仕様が無くって……。引っ越せたらいいのにね、としか言う言葉みつからないなぁ。
でもさっき少し気付いた。
縦じまを着て来られたら、何で嫌なの?とか、どんな風に思うの?とか聞いてあげたら良かったな。気持ちだよね、目に見える状況は問題じゃない。
「おちょやん」
2021年4月15日(木)
今日の「おちょやん」で、不義理した子が、合わせる顔がないから、もう家には戻らないと言う。
それを聞いている人が、必ず戻れ、その人は受け入れてくれるから、と言う。受け入れてくれる人だから、と言う。
そうなりたい、と思ったら涙が出てきた。
何年先かな、戻ってきたら「あんたアホやなぁ。」って、ドラマみたいに笑って言える人になろうと思う。